AUG. 2020
Hackabilityとデザイン
- 01: ハッカビリティ=プロダクトの改変しやすさ
- 02: ハッカビリティはどんな価値を生むか
- 03: ハッカビリティは人とモノの関係をどう変えるか(本記事)
人々が思い思いにプロダクトを改変することが当たり前になったとしたら、何が起こるだろうか?人と物の関係性という観点では「インタラクション」を変え、企業と顧客の関係性という観点では「ものづくり」のあり方を変える。そして、私たちの生活や意識をも変えていくのかもしれない。
1. ハッカビリティとインタラクション
USEの発展形としてのHACK
例えば、携帯電話のようなプロダクトを手に入れると、まずはシンプルな基本機能から使い始める。そこから徐々にいろいろな機能を試し、さらに使い込んでいくと、各種設定を調整して最適化していく。そして、それでも満足できなくなったとき、人はそのプロダクトをさらに自分好みに改変するのではないだろうか。 こうした営みの中において、「利用にともなう操作(USE)」の発展系として、「プロダクトの改変(HACK)」を位置付けることができる。それは、ユーザーが自分のニーズにあわせて使い込んでいくプロセスの中で、作り手によってあらかじめ用意された範疇を超えて最適化していく行為とも言えるだろう。
「Usability」から「Hackability」へ
プロダクトに求められる価値は、市場が成熟するのに伴って進化していく。初期には機能(Functionality)や品質(Quality)だけでも魅力になり得るが、いずれそれらだけでは差別化できなくなっていく。今や「使いやすさ(Usability)」も当たり前の価値として求められるようになってきている。 “USE”の発展形として“HACK”があるのだとすれば、「使いやすさ(Usability)」ばかりでなく「改変しやすさ(Hackability)」が求められるようになっていく、という流れもありえるだろう。「User Experience」から「Hacker Experience」へ
もうひとつ、プロダクトに求められる価値の進化の中で重視されるようになってきたのが、ユーザー体験(User Experience)だ。これからは、ユーザーが「使う」体験ばかりでなく、ハックする体験(Hacker Experience)という視点も必要になってくるのかもしれない。 第2回でも触れたとおり、プロダクトを改変しやすくすることはプロダクトの価値を持続的に高め、ニッチで多様なニーズを満たすことにつながる。そして、自ら手を加えながら使い続ける体験は、「愛着」という情緒的価値を醸成する。Hacker Experienceという視点から、プロダクトを改変する体験をデザインしていくことは、このような高度な付加価値を提供していくためのアプローチとして、十分な可能性があると考えている。2. ハッカビリティとものづくり
次に、「作り手と使い手の関係性」という切り口から見ると、ハッカビリティはどんな変化をもたらすだろうか?プロダクトの改変しやすさは、「ものづくり」のあり方をも変えていくかもしれない。Fabやパーソナルファブリケーション、MAKERムーブメントなども参照しつつ、その変化について考えてみる。使う人と作る人の関係性が相補的になる
プロダクトが単に「使うだけのもの」でなく「ハックするもの」になると、作り手(企業)と使い手(顧客)それぞれの役割が変わってくる。 これまでは、「企業は“商品”を提供し、顧客は対価として“お金”を支払う」という関係性だったのに対し、プロダクトがハッカブルになると、「企業は人々に“欲しいものを作る手段”を提供し、顧客は“新しい使い方やアイディア”を還元する」という関係が生まれる。これはエリック・フォン・ヒッペルが提唱する「ユーザーイノベーション」という文脈で語られる話にもつながる。こういった中で、作り手の役割は「良いものを生み出すこと」から「使い手がより自分にあったものを生み出すことをサポートすること」にシフトしていくのかもしれない。 ユーザーがプロダクトの価値をひろげることは、すでに大きな意味を持ちはじめている。たとえばメーカーが自らアプリを開発するのでなく、プラットフォームを提供して個人を含むサードパーティのデベロッパーを呼び込み、アプリ開発を奨励するのはその表れだと言えるだろう。“使うこと”と“作ること”の分断をグラデーションで埋める
2013年に行われたMaker Conference Tokyoでは「Makerフレンドリーな製品をつくる」と題したセッションが行われていた。このころ小林茂さんが言っていた「Makerフレンドリー」という言葉が意味するものは「ハッカブル」にもかなり近い概念だったと思う。違いを挙げるとすれば、「一から作ること(Make)」よりも「既製品を改変すること(Hack)」のほうがより敷居が低い、ということだろうか。MAKERムーブメントが落ち着いて、誰もが “MAKER” に…とはならなかったけれど、ハックというのは作り手と使い手の分断をグラデーション的につなぐものになるのかもしれない。 個人がプロダクトをハックするということに対しては、(FabLabやMAKERムーブメントと同様に)「そんなことするのは少数のギークだけで、大多数の人はやらないでしょ」という意見があるだろう。しかし、ブログやYouTubeなどによって、個人が情報発信することは、あっという間に「フツーのこと」になっている。今やCGMが既存のマスメディアと並ぶどころか、「それ以上」の存在になったことを思えば、ありえない話じゃない。 テクノロジーの進化に伴って、改変することのハードルやコストはどんどん下がってきたし、これからもさらに下がっていくだろう。すべての人がハックするようにはならないかもしれないが、選択肢として広がっていくという流れは大いにあると思う。第1回であげた例のように、「スマホにアプリをインストールして使うこと」や「カメラをメモがわりに使うこと」もある種のハックであるとするならば、既に多くの人々がハックしているし、その価値を享受していると言えるだろう。3. ハッカビリティと私たちの生活
ハッカビリティは結局のところ、わたしたちの生活にとってどんな意味があるのだろうか?ハック=生活者自身による価値創出
ハッカビリティがどのような価値をもたらすかについては第2回で書いたが、大事なのはその価値が生活者自身の手によって生み出されるということじゃないかと思う。生活者はプロダクトから価値を享受するだけでなく、改変することを通じてプロダクトに対して価値を付加する存在となる。 “受け身な消費者”から、“創造的な生活者”へ。テクノロジーが民主化されて個人をエンパワーメントし、できることがひろがっていく。あらためて自分がハッカブルなものに惹かれる理由を考えてみると、このあたりが一番のポイントのような気がする。そしてこの感覚は、自分がかつてFabLabやパーソナルファブリケーションに感じた可能性と地続きにあるものだ。“コンヴィヴィアリティ”とハッカビリティ
こうした目線で見ると、思い出されるのは「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」というキーワードだ。イヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」という本にでてくる言葉で、「自立共生」などと訳されている。 この概念をひとことで説明するのは難しい…というか自分がちゃんと理解できているか自信はないが、「人々が身の回りのモノや生活をつくることに主体的に関わる社会を実現するのに必要な要素」というような感じで解釈している。 これまで興味を持ちつつも、なんとも捉えにくい概念だと感じていたのだが、2019年に開催されたYouFabというクリエイティブアワードが「コンヴィヴィアリティ」をテーマとして掲げており、審査委員長である若林恵さんはその定義をこんな風に表現していた。なんらかの困難や課題に直面する人やコミュニティが、自分たちの手でそれを改変・改革し、持続的に維持することができるようなシステムや制度や道具のあり方
(You Fab ウェブサイトより引用)
このコンヴィヴィアリティの定義は自分にとってわかりやすく、スッと共感できるものだった。ここまで、ハッカビリティを「プロダクトの改変」として説明してきたが、道具にとどまらず、生活をとりまくシステムや制度に敷衍して考えれば、それは「コンヴィヴィアリティのための道具」と言えるのかもしれない。
ハックとは、ひとりひとりが暮らしをより良く改変していくこと
プロダクトをハックすることは、プロダクト自体を改変するだけでなく、その人の暮らしをより良く改変していくことでもある。わたしたちは、いち消費者としてどこかの企業が製品化してくれることをただボンヤリ待つのでなく、自らの手で生活を良くすることができる。 生活者ひとりひとりが「何か困りごとがあったら自分でなんとかできる」とか「こうだったらいいな、と思ったときに自らそれを実現できる」というのは、本質的にとても豊かなことだと思う。それは、人々の暮らし方や生き方の選択肢が大きくひろがるからだ。終わりに
今回の一連の文章をまとめるにあたって、自分がいつからこのテーマに興味を持ち始めたのかをあらためて辿ってみたら、なんと今から10年近く前のことだった。正直言うと、さすがにちょっと旬が過ぎてしまった感もあり、あと数年前に書いていれば…という気持ちもあるけど、それでもなんとか言語化できてよかったなとは思う。 振り返ってみれば、2010年代は、様々なハッカブルなプロダクトが生まれた時代だったと思うが、一方で、消えていったプロダクトも決して少なくない。それでも「プロダクトの改変可能性がもたらす価値」は、いろんなかたちでわたしたちの生活の中に浸透しつつあるように思う。 また、ハッカビリティは「プロダクト」にとどまらず、サービスのあり方や、空間/場づくり、組織開発、制度設計など、いろんな領域に適用可能な概念だと改めて思う。人々の価値観がどんどん多様化して、変化が激しく何が起こるか予測不能な世の中において、その重要性はますます高まっている、とも言えるのではないか。 …と、ちょっと話を大きくしすぎてしまったが、ハッカビリティについて考え始めたきっかけは、自分自身がいちユーザーとして、ハッカブルなプロダクトに対してなんとも言えない魅力を感じていたことだ。なので、「世の中にもっとハッカブルなプロダクトが増えたらいいな〜」という個人的な思いがある。このテキストが誰かの目に留まり、ハッカビリティになんらか興味を持ってもらえたらうれしいし、それがめぐりめぐって将来ハッカブルなプロダクトが世に生まれることにつながったらもっとうれしい。 3回シリーズで書くぞ!と決めてから、第1回、第2回を公開後、この第3回を書き終えるまでに1年以上時間があいてしまった…。その間に、千葉工業大学でデザイン系の大学院生向けに、ハッカビリティについてのレクチャーとワークショップをやらせてもらったり、いろいろな人とハッカビリティについて語る中で、考えがさらに深まったように思う。 とりあえず、今回のシリーズとしてはいったん一区切りとするが、まだまだ語り尽くせないものがある。ハッカビリティについて興味がある人がいたら、ぜひこの続きをしてみたい。Surface&Architecture 巾嶋良幸