ご報告
ずいぶん、更新をしないまま時間が経過してしまいました。
私事ですが、今月6月末で、15年間在籍したAXISを退社することになりました。私の退社に伴い、このBlogも間もなく移設します。移設先は改めてご連絡します。
退社後、私、岡村は非常に信頼しているデザイナー、エンジニアとUI/UX デザインを専門とする、ユニットを立ち上げます。
ユニットの名前は、”Surface & Architecture”。
日本語に訳すと表層と構造。どちらもインターフェィスを形作るものです。構造は表層に現れ、反対に表層は構造を規定します。(7月中に株式会社として法人登記予定。)
こちらもまだ詳細をお伝えできないのですが、素晴らしい実績を持つデザイナー、エンジニアとともに新しいことにチャレンジしていくことを本当に楽しみにしています。
このようにお伝えできる内容は乏しい状況ですが、コラボレーションする機会やプロジェクトをご一緒する機会があれば、是非、ご連絡ください。
連絡先は、yusuke.okamura[at]gmail.com
[at]は@に変更してください。
今後ともよろしくお願い致します。
Make it in America
@kotobukiさんに教えて頂いたMAKEの創立者Dale Doughertyがホワイトハウスにまねかれた際の記事を翻訳してみました。
モノを作るということと政治、経済、教育の関係について示唆に富んでいます。興味をもたれた方は是非こちらもどうぞ。「コンヴィヴィアリティのための道具」
–
教育、仕事、イノベーションに対し、拡大するmakerムーブメントの可能性
by Alex Howard
オライリーメディアの共同創設者である、Dale Doughertyは昨日「Champion of Change」の1人としてホワイトハウスに招かれるという栄誉を与えられました。ホワイトハウスのこの取組みでは「アメリカ国民を21世紀の挑戦へと向かわせる」人々を紹介しています。Dale Doughertyは「Make it in America」というテーマで評価され、国中から招集された人々とアメリカの製造業や雇用について討議を行いました。Tim O’ReillyはGoogle+にこう書いています。
「彼の業績は充分に賞賛に値する。Maker Faireに行けば、子供たちがモノを作りたいと思い、急速に科学や数学に興味を持つようになることが良く分かる。子供たちは目を光らせて、親を引っ張り回している。本当はエキサイティングで面白いはずのものごとをどれだけ、今の教育システムが退屈なものにしてしまったかも…。大きなアイディアを実現し、Daleと25年以上一緒に働いてきたことは本当に光栄に思っています。彼には非凡の才能がある。」
このイベントは WhiteHouse.gov/liveによってストリーミングされ、YouTubeにもこのイベント映像が公開されています。(Doughtyのコメントは58:18から)招集されたほとんどのスピーカーはエネルギーや交通、その他の経済的な課題について言及しましたが、Doughertyは異なる点について言及しました。U.S. CTOのAneesh Chopraは、「君らは、なんていうか、アンチワシントンを使命としながらも、気合いを入れてすごいことをやってる…」
「私は『MAKE』という雑誌を出版しています。この雑誌は21世紀版の『Popular Mechanics』のような雑誌で、趣味や遊びのためのモノのつくり方を紹介しています。それから、MakerFaireという地下室やガレージで作ったものや、テクノロジーをどのように活用したかをお互いに見せるために集まるイベントも行っています。テクノロジー的な興味からはじまり製造へと向かう流れのようなものがあるのです。ロボットを制作する人もいれば、建物を建てたり、新しい形の照明を製作したりと、頭のなかにしかなかったものを、実際にカタチにして新しいモノを生みだしているのです。」
「tinkeringについてコメントがありましたが、tinkeringはかつては、しっかりとした中流階級(middle-class)の技能でした。それは生活を改善する方法で、住環境を良くすることや車を修理することなど、我々は多くのことを自ら行うことができました。現在、tinkeringは失われつつあり、中心(middle)ではなく端(fringe)に追いやられているのです。 」Chopraの発言に応えDoughertyが説明を行いました。
ソフトウェアのコミュニティは、製造業に対して、「製造業の新しい捉え方」をはじめとして影響を与えています。MAKEやMakerFaireを見てみると、このムーブメントは新しい文化で、製造業の意味を再定義しようとしているように感じられます。製造業は指示されたことをやらされる場所ではなく、問題を解決したり物事を探求するための「クリエイティブな活動(creative enterprise)」を行う場所として捉えられます。
この新しい文化では、makerは自分自身の情熱と関心からモノを創ります。ロボットを製作する人は自分が欲しいから製作するのです。モノを作るということは、自分が何者で何に関心を持っているかを示す自己表現で、makerが集まることはmaker同士を刺激するだけでなく、さらにまわりの人までを刺激していきます。
ホワイトハウスのイベントについて、それからmakerムーブメントで何が起こっているのかを、 Doughertyを迎えてさらにインタビューを行いました。
今回の評価をどうお考えですか?
Dale Dougherty: makerムーブメントとmakerのcan-doスピリットに対する評価だと受け止めています。makerの行っていることを誇りに思っているので、政治や産業界のリーダーにメーカームーブメントについて話す機会を与えられたことに感謝しています。makerこそが「Champions of Change」です。
makerコミュニティはどのくらいの勢いで広がっているのでしょうか?
Dale Dougherty: この考え方の広がりを数字で捉えるのは難しいですね。大切なことは、この考え方が広がり続け、触発された人もどんどん増えているということです。
今、最もmakerムーブメントのなかで盛り上がっていることは何ですか?
Dale Dougherty: キットですね。私達はちょうどキットに関する”MAKE”の特集を仕上げました。キットは、パッケージされたコンシューマプロダクトに対するもう1つの選択肢としてとても面白いのです。キットは、パーツと説明書をもとに購入した人が制作します。既にかなりの種類のキットがあり、それらを今回の特集でまとめて紹介したいと思いました。この特集では、MITのリサーチャー兼、経済学者のMichael Schrangeが執筆した、キットがどのようにイノベーションを牽引するかに関する素晴らしい論文を読むこともできます。一番最初の蒸気機関はキットとして発売されていたことなどは私も知りませんでした。一番最初のパーソナル・コンピュータも同様です。さらに、最近ではMakerbotによる、同様にキット販売された3Dプリンターなどもあります。それから、Local Motorsによるキットカー、RallyFighterは彼らがアリゾナに新しく建てた小さな工場で組みたることができるというよな例、MITのJose Gomez-Marquezが執筆したDIYメディカル・デバイスに関する記事では、第三世界で個々の課題を解決する際に、医師たちがどのようにメディカルデバイスをhackされているかを紹介しています。
作ることは教育にはどのような意味があるのでしょうか?
Dale Dougherty: John Deweyの「learn by doing」というフレーズにあるように、作るということは学ぶことです。これは、禁じられているのでなければ、今は忘れられてしまった「経験から学ぶ」という古くからの教育上のフィロソフィーに基づいています。現在の教育システムの性質を変えることに非常に大きな可能性があると私は考えています。
makerムーブメントは政治に対してどのような影響を与えていますか?
Dale Dougherty:DIY精神は民主主義的な社会に不可欠なようです。特に継続的な変化に耐えなければならないような状況下では。Ralph Waldo Emersonの有名なエッセイ「Self-Reliance.」にあるように、自分自身や自分が所属するコミュニティに対して責任を持つということは非常に重要です。参加することなしに民主主義はあり得ない。私達は自分たちでできることはすべて自分たちで行うべきで、それを他人に期待することや他人がやってくれることを待ってはならないのです。変革を望むのであれば、自らが向上し実現しなければならいないのです。
ワシントンの会合のテーマは「Make it in America」でした。アメリカは製造業でリードしていますが、今はそのリードを失いつつあります。あるスピーカーが話していたように、私達は、製造業が「汚くて、危険で、消滅しつつある」というイメージが誤りであるということを証明して行かなくてはならない。
「モノを作る国でありたいかどうか?」というこの質問に対して「yes」と応える明確な理由は複数ありますが、最大の理由は、製造業は歴史的にみても中流階級のための雇用を創出し続けてきているという点です。
アメリカの製造業が重要だということを多くの人に理解してもらうにはどうすればよいのか?あるいは子供たちに製造業で働くということに興味をもってもらうにはどうすれば良いのか?と、質問されることがあります。私の答えの1つは、より多くの人に参加してもらうようにすることで、製造業というものを限られた人が行うものではなく、すべての人が行うものだというように捉えてもらうのです。自分自身をmakerとして捉えて欲しいのです。そう捉えることがmakerムーブメントへの開かれた招待状なのです。
少し質問を変えて、makerムーブメントは政治に対してどうのな影響を与えるべきだとおもいますか?Dale Dougherty:makerムーブメントには4つの可能性があると思います。
- オープンネス 何か行動をはじめると、他の人も同じことをしていることに気付きます。これがシェアすることや一緒に学ぶ機会を作ります。コラボレーションはmakerムーブメントなかで成熟しています。一緒にやりましょう。
- 進んでリスクをとる リスクを避けるのは止めよう。失敗を恐れることはない。自らの経験から学び一緒に前に進もう。最も大切なことは、反復し、より良いものを作り、そのなかで新しい方法を学んでいくことです。
- クリエイティビティ 多くの人を刺激するのはクリエティブな仕事ができる機会です。仕事をクリエティブなものと考えられなければ、恐らくそれを達成することは出来ないでしょう。
- パーソナル テクノロジーは個人的なものになりました。テクノロジーは自らのゴールにあわせて自由に変形して、利用できるようなものになったのです。作るということも個人的なことです。作ったモノによって自分自身を表現します。作ったモノが語り、そのモノのメッセージは広く共有されうるものになります。
これからどのようなことが起こるのでしょうか?DIYソーラー、バイオリアクター、車のhackとか…
Dale Dougherty:それは我々こそ知りたいことですね。私は未来について考えることにあまり時間を費やしません。むしろ、今、進めるべきことがたくさんありますから。
ナカダイ西麻布工場
今週29日(土)から廃棄物処理業者 株式会社ナカダイのイベントが西麻布KREIで開催されます。
この展示イベント「ナカダイ西麻布工場」では、廃棄物を利用した多数のデザイナーやクリエイターの作品展示、魅力的な廃棄物を収集したマテリアル・ライブラリーの紹介、それからレーザープリンターなどを解体したり、廃材からアクセサリーを創るワークショップが行われます。
ナカダイ社では、新しく「モノ:ファクトリー」というプロジェクトを展開しようとしています。このプロジェクトでは廃棄された物を「ソーシャルマテリアル」として、デザイナーやクリエイターに活用してもらい、新しいモノづくりや新しい発想が生まれててくることを狙っています。今回、西麻布でおこなれる「ナカダイ西麻布工場」はこの「モノ:ファクトリー」のスタート・イベントという位置づけです。
私も含めAXISでは、この「モノ:ファクトリー」のブランド構築やウェブサイト開発を担当させて頂いています。ナカダイ社の中台さん、原さん曰く、「モノの見方、変えてみせます」との意気込み。是非、会場に遊びに来て下さい!
会期 : 2011年10月29日〜2011年11月6日 12:00〜21:00
(最終日は17:00まで)
会場 : KREI open source studio 東京都港区西麻布2-24-2 KREIビル
主催 :株式会社ナカダイ・KREI
会場構成:株式会社アクシス
入場料 :無料
URL :http://monofactory.nakadai.co.jp/
FAB7へのメッセージ
8/14から19にFabLabの国際会議、Fab7がペルーのリマで行われました。
日本からはFabLabJapanの田中浩也先生(@Hiroyeah)がプレゼンテーションを行うセッションがあり、被災地を訪れた印象とFabLabの可能性を話して欲しいという依頼を頂き、メッセージを送らせて頂きました。(英訳は田中先生によるものです。ありがとうございます。)
–
FAB7参加の皆様へ
3.11に発生した東北関東大震災の被災地を訪れた印象、それからFabLabやものづくりがどのように支援出来るのか、ということを私なりに伝えさせて頂こうと思います。
For all participants at FAB7,
I’d like to tell you how I felt when I visited the damaged (by the disaster earthquakes and tsunami) areas in Japan, and a little bit more about how Fab Labs and Fab Labbers could support from now on.
被災地を訪れた印象
今回の震災では東北沿岸、数100kmに渡る範囲で被害を受けています。被災地と一言でいうには、あまりにも広く、私が訪れたのは、そのうちのいくつかの町に過ぎません。具体的には、4月中旬に石巻に、6月中旬に岩手の南側の陸前高田や大船渡を訪れました。
石巻では河北町という町にあるボランティア団体を通じて訪れました。河北町は、小学校の7割の児童が津波にさらわれてしまったという、本当に辛い経験をしている町です。ここで感じたことを、説明するのは難しいのですが、海から5km以上離れた場所まで被害を受け、その被害の深さと広がりに圧倒されました。そのなかでも印象に残っているのは、そのボランティア団体と現地の人との関係です。
My personal impressions on damaged areas in Japan
Damaged areas by the disaster are very large. The range covers over hundreds kilometers, particularly along with long coasts in North East areas in Japan. Nobody can visit all the cities in such large areas. I personally could visit some of the cities- Ishinomaki (in the middle of April) and Rikuzden Takada and Ofunawatari located in the south part of Iwate prefecture (in the middle of June). In Ishinomaki city, there is a town called KawaKitacho, sadly where 70% of pupils at elementary school had been missing. It’s hard to express my feelings, however, I just can say I was very struck by the reality, what happened there and how deep and large the influence was. Even under such situations, I found one hope for the future. It is the relationship between volunteer staffs from outside the city and people having lived in the city.
ボランティアたちは津波の被害にあった家屋からヘドロを出す作業を主に行っていたのですが、現地の方からの信頼が厚く、夜は飲食店を営んでいたご主人がボランティアのために、ささやかな食材しかない状況ではあるのですが、感謝の気持ちをこめて料理をしてくれたり、ボランティアのために自宅のお風呂を使って欲しいという申し出がありました。彼らの方が辛い状況のはずなに、外から来た者を気遣う気持ちに触れて、思わず涙が流れました。
Volunteer staffs were working on removing sludge from the inside of housings which was broken by Tsuhami. People who lived in the city kindly cooked for them even when ingredients are limited. They also offered to give them the use of private baths. Despite people there seemed to be very despaired and exhausted, they did their best with cordial actions for people coming from outsite. I couldn’t stop crying.
外から来た者には、確かにそこで生活する人の悲しみや苦しみを本当の意味では理解することはできません。しかし、むしろ、外から来た者であるからこそ活動的でいられるし、困難に立ち向かうことができるということがあることを実感しました。私達が行ったことは、実益としては小さなことだったと思います。それでも、現地の人を少し勇気づけ、困難に立ち向かうのは、彼らだけではないという気持ちの繋がりのようなものを与えられたのではないかと思っています。
It is impossible for people from outside of the damaged areas to perfectly understand tortures and sadness of people living there. However, people from outside of the damaged areas could work earnestly and give energy and courage, and take actions to confront with difficulties. That’s what I realized there. What we did there was tiny in practical sense, however, we could give some kinds of braveness to people living there, and make cordial connections among people.
6月に訪れた岩手では、仮設住宅ができはじめ、被災者の自立や自治体の復興計画が提示された段階で、緊急救援フェイズから復興フェイズへとスタートを切ろうとしていた時期です。私が訪れた岩手南部沿岸の気仙地方の被害状況は、凄まじいものでした。なかでも陸前高田の被害は著しく、4階建ての建物よりも高く積まれたがれきの山がいくつもありました。高田では車で走っても走ってもどこまでも被害が続いています。町のすべてが失われているので、復興とはいうものの、ここに経済が戻ってくるのか?想像することができませんした。
そんななかで、ちょうど私達が訪れた日に、陸前高田ではじめて再開された飲食店を見つけることができました。外側まで列ができるほどの盛況ぶりで、復興に向けた小さな兆しをみたような気がしました。今も大きな課題となっているのが、漁業や農業を再開できない人々の雇用の問題です。働くということは、経済的な自立とともに、人が生きる尊厳を与えます。養殖の海産物は、育てて売る事ができるまで、3年程度の時間が必要です。その間の雇用をどうしていくのか、さらに地域の経済をどう再建していくのかは、本当に大きな問題です。
After that, I visited Iwate Prefecture in June. At that time, temporal housings were being built, and proposals for reconstructing the cities were widely disseminated. It was the beginning of turning point from “emergency” phase to “reconstructing” phase. The damage of Kisen area, located in south part of Iwate prefecture, was beyond our thought. Especially Rikuzen-Takada was terribly damaged. Huge heaps of rubble, whose height was beyond the 4th floor of buildings, remains even two months after the earthquake. We couldn’t find any border between damaged areas and non-damaged areas. Everything was missing in the huge area. I couldn’t imagine when and how economy will come back there.
The only hope I found was the small restaurant which could open again the first in Rikuzen Takada. There was a long queue of people who had been longing for the restaurant. The biggest issue in that area was how to hire people who had lost their jobs on fishery or agriculture. People can get various values form working- not only their economical independence but also their self-esteem in the society. Aquafarming needs at least three years from cultivation to selling. How can they survive during such period? How to rebuild local economy? Those are critical issues under current situations.
FabLabやものづくりにできること
FabLabやものづくりが貢献できることはいくつかあると思います。1つは住環境の改善。FabLabの機材やノウハウを活かしながら、無機質な仮設住宅に彩りを与えることができるのではないかと思います。仮設住宅を巡回しワークショップを行いながらそれを手伝って行くというような活動があるのではないでしょうか。2つめは小さな雇用を生みだすことです。地域の人が関われるような生産手段を構築し、世界に対して何らかの製品を販売し収益を獲得する、フェアトレード的なモデルです。3つめは、地域のコミュニティセンターのような形で地域で必要とするものを作ることを支援していくような形があると思います。
What Fab Lab/Maker can do
I have some ideas on what Fab Lab/ Maker can contribute. The first idea is improvement of housings. I think it’s possible to attach ornaments and put furniture (made and fabricated by Shopbots and other fablab facilities) to only-for-functional current temporal housings. It’s more effective if Mobile FabLab can move from here to there, having workshops on making ornaments and furniture. The second is to involve people in micro business. If we gave some machines for making things to them, they could make products and finally sell them to people all over the world, and hopefully get money. It’s like a model of fair-trade. The third is to set up community-oriented Fab Lab, particularly focused on making and giving the useful products which satisfy the needs and demands of people living there.
ものを作るということは、苦労とともに達成感のある行為です。こうした精神的な充足を積み重ねて行く作業は、もう一度被災地が自信を取り戻して行く時に必要な作業なのではないかと感じています。
また、東北に多い漁師や農家は、身の回りにある資材を使って必要とするものを作ってしまう、ブリコラージュを巧みに行います。FabLab Japanのディスカッションにある使う人が作る、ということを、生活環境と溶け込んだ形で行っているネイティブたちが、3次元プリンターやレーザーカッターといった新しいものづくりに携わっていくというところに、「つくりかたの未来」があるのではないかという妄想も広がります。
It’s worth while making things. It takes a lot of time, however, it gives us a lot of satisfaction and funs instead. People can get not only physical convenience but also mental achievement from making things. That is what now people need to have, for getting over many difficulties, and for taking confidence over again. Furthermore, people in north-east areas are very good at making things even from limited resources with hands-craft skills. That’s the very good example of ‘bricolage’. I think they are working in their own DIY style. Fab Lab could share the similar attitude with them. I personally expect how they will use 3d-printers and laser cutters, and apply them to the current situation. It is going to be “the future of making”, isn’t it?
最後に、あるNGOの方から聞いた言葉を紹介して終わります。日本語では、文化形成に影響を与える地域環境を風土と言います。風土は「風」と「土」という言葉からできています。風は外から流れるくるもの、土はその地域にもともとあるものです。風土とは、外からの新しい風と土地固有のものから生まれるものだ。というお話を伺いました。
使う人が作る社会、この新旧から新しい風土を想像することはそれほど突飛なことでも無いように思われるのです。
Let me end with one story which I heard from a person in NGO. In Japanese, local environment, that can be distinguished by cultural uniqueness, is called “風土”. “風土” consists of two characters “風(wind)” and “土(land)”. “Wind” implies what flows into the place, and “land” implies what keeps existing there. The genuine abundance of local environment can be emerged only from the best harmony between “wind” and “land”. I think Fab Lab can take a part of making such a great harmony, in damaged area in the future.
Yusuke Okamura
岡村祐介
Tele-Present Water
このエントリーを書くのをやや迷いましたが、やはりこういう動きには魅了されます。このインスタレーションを太平洋上にあるステーション (49°59’7″ N 145°5’20″ W)の波の動きをリアルタイムにシミュレートしているそうです。
+DESIGNING 2011年8月号(vol.25)
?
毎日コミュニケーションズが出版する「+DESIGNING」の緊急特集「復興支援とデザイン」にdesign311として企画協力を行い、インタビュー記事を掲載して頂きました。震災からずいぶん時間が経ち、東京の日常で、震災の影響を感じ取ることは随分少なくなりました。しかし、本当は緊急救援フェイズが終わり、復興はこれから。私達らしく、私達のできることを、継続して行きたい。
design311
デザイナー、クリエイターによる復興支援活動のありのままを蓄積し共有するサイト、design311.jpを公開しました。
被災地のためにデザイナーとして何ができるのかを考える「糧」となるようなものを作りたい、さらにNPOやNGOの方にも広がり、ここからクリエイターとNPOとのコラボレーションのきっかを作りたいという想いからスタートしました。
しかし、復興のためにすぐに何かを開始しなければならない訳ではありません。design311に掲載させて頂いた「地震イツモノート」は阪神・淡路大震災から10年後に始まったプロジェクトです。ある勉強会で、「地震イツモノート」のプロデューサーである永田氏は、このプロジェクトが1o年後であるから実施できたプロジェクトだったというお話をされていました。聞き取りを中心としているこのプロジェクトは、確かに5年後では実施できなかったのかもしれません。はじめる時期も、方法も人それぞれで良いのだと思います。それでも、何ができるのかを考え続けることは大切なのだと思います。
デザインになにができるのか
4月16日、17日と宮城県石巻市の旧河北町のボランティアに向かった。被災地に向かった理由は単純な善意というよりも、「デザインになにができるのか」、それを考えたいと思ったからだ。
上の映像は私を誘ってくれた佐々木拓史さん(@mountak)によるボランティア活動の記録映像だ。東京に戻って来てから、佐々木さんは今回の経験についてメールでこう書いて来た。
「一言では言い表せないですよね。
悲しみで溢れていて、被害の大きさにどうしていいかわからないのだけど
でも、ボランティアの人たちのすごくポジティブな気持ちもたくさん感じるし
悲しくもなり、頼もしくもあり。
むずかしいです。」
被災地での経験を語るのは難しい。それでも、被災地のために何かを行いたいと思ったら、やはり被災地に足を運び、被災した人の声やそこで支援活動する人の声に耳を傾ける必要がある。
震災から1月が経ちデザイナーやクリエイターの中には、被災地の支援のために動き始めている人がずいぶん現れた。一方で、これらの活動の中には、被災地まで届いていない(と思われる)活動も多い。
こうした活動を、ひとりよがりで無益だとしてしまうことは簡単なことだが、実際には、社会的な課題に対して主体的に動いた経験があるデザイナーはまだ少なく、いろいろな人が想いを先行させながら手探りで実施しているというのが実情ではないだろうか(自分はその1人だ)。私は今こうしたデザイナーやクリエイターの活動を良いものも、それほど良いと思えないものも含めてデータベース化してサイト上で公開する準備を進めている。様々な活動を蓄積し、情報を集約することで、今後デザイナーが社会的な課題に立ち向かうときのちょっとした「糧」となるようなものにできればと考えている…
デザインと交渉術
“The Hardest Part Of Software Is Culture.”
素晴らしいインターフェイスを思いつくことに困難があるのではなく、むしろチームや、クライアントとの文化や価値観を超えた合意形成の方にこそ困難はある。自身のブログでAza Raskinはこう述べて、UIやUXに携わるデザイナーが交渉について学ぶことを薦めています 。
交渉と聞くと、「いやいや、そんなスキルよりも良いアイディアを生みだす能力の方が大切だ。」と反発したくもなりますが、”To design is to inspire participation”(前述のブログより)という側面は強まる傾向にあり、デザイナーには、これまで以上に関係者や物事をバランスさせる能力も求められているのだと思います。もちろん、良いアイディアの方が賛同は得やすいし、良いアイディアとは物事をバランスさせるものなのかも知れないのですが、デザイナーが交渉について学ぶことにも価値はありそうです。今回は、Aza Raskinが薦めている書籍『GETTING TO YES』(翻訳は、『ハーバード流交渉術』)の概要を少し紹介したいと思います。
-
原則立脚型の交渉
『ハーバード流交渉術』は交渉術とは言いながらも、相手を打ち負かし勝つための術ではなく、いかに公平に利害を調整しお互いが納得可能な合意に達するかということを目的に書かれています。交渉というと、強気にでるか、穏やかに進めるか、ということばかりを考えがちですが、これでは「賢明な合意」に達することはできないし、「当事者間の関係の改善(あるいは、関係性の維持)」を図ることも難しいでしょう。交渉方法としては、「賢明な合意をもたらし」、「効果的で」、「当事者間の関係性の維持、ないし改善が可能」でなければなりません。こうした交渉を実現する方法として、著者らが提案しているのが、「原則立脚型の交渉」です。原則立脚型交渉のキーポイントは以下の4点にあります。
1.人と問題とを分離せよ
交渉当事者間の基礎には、正確な認識、十分な意思疎通、節度ある感情、目的に対して前向きな展望がなければならない。交渉当事者はこの基礎の上に立ち、比喩的に表現すれば互いに相手を攻めるのではなく、一緒に問題を攻めるのだという見方をすべきである。
2.立場でなく利害に焦点を合わせよ
交渉上の立場は、その主張者が真に何を欲しているのかをしばしば不明瞭にしてしまう。声高な表向きの主張の背後にある隠れた動機(真の利害)を探り、そこに焦点を合わせよ。
3.行動について決定する前に多くの可能性を考えだせ
双方に共通の利益を増進し、相違する利害を創造的に調整できるような複数の解決策を用意せよ。
4.結果はあくまでも客観的基準によるべきことを強調せよ
どちらか一方が選び出した基準によるべきだというのではなく、市場価格、専門家の意見、慣習法律といった公平な基準によって結論をだす。
書籍中には、この1〜3のポイントを端的に示す逸話が紹介されています。
「図書館で2人の男が言い争っているとしよう。一人は窓を開けたいし、もう一人は閉めたい。彼らはどれだけ窓を開けておくか、言い争っている。そこへ図書館員が入って来た。彼女は、一方の男性になぜ窓を開けたいかを尋ねた。『新鮮な空気が欲しいからですよ』と彼は答えた。次にもう一方に、なぜ閉めたいか尋ねると、『風に当たりたくないんですよ』という答えだった。少し考えてから、彼女は隣の部屋の窓を開けた。こうして風に当たることなく新鮮な空気が入れられ、2人の男は満足した。」
表面的には、2人は「どれだけ、窓を開けるか、閉めるか」について言い争っているように見えます。争点を1つに絞られると、利益や不利益をどう分配するかという配分の問題となり、このような交渉では合意を得難い状況を導きます。しかし、隠れた動機を知ることができれば、問題を創造的に解決できるということをこの逸話は示唆しています。
また、「多くの交渉において、かかわりのある利害は、つきつめると金銭であると思われやすい。」のですが、しかし、金銭的問題に関する交渉においてすら、たとえば離婚の際に妻が要求する扶養料額でさえ、その背後では、経済的なゆとり以上に、心理的な安心感や、むしろ自分が認められ、正当に扱われていると納得したいといった具合に、金銭以上の利害が関わっていると言われます。
-
原則立脚型交渉は賢明な合意を友好的、効果的に生みだす
先の1〜3のポイントは、交渉において重要な点ではありますが、この書籍を特徴づけるのは、最後の4つめのポイント「公平な基準によって結論を出す」という点にあります。その利点は以下のように説明されています。
公正で効果的で科学的な利点を基準として特定の問題に取り組めば、それだけ賢明で公正な最終案を実現しやすい。交渉の両当事者が先例や習慣を重視すればするほど、過去の経験から多くのものを学びうる。
互いに優位に立とうと争うばかりでは、当事者間の関係を損なうだけだ。基準に基づいた正しい交渉は、それを防ぐ。問題を解決しようとしているとき、(中略)人間関係もずっとうまくいく。
しかし、実際には客観的と考えられる基準は複数存在するであろうし、どの基準を採用するかで交渉が進まなくなることもあり得る。著者らは、ここを共同作業として実施し、その基準に基づいた確固とした結論を導くことを推奨しています。
1.問題の解決を、客観的基準を探し出す共同作業としてとらえる。
2.どの客観的基準が最も適切か、それをどう適用すべきかについて、論理的に説得するとともに、相手の論理的説得も素直に聞く。
3.圧力にはけっして屈せず、正しい原則にのみ従う。
お互いが共同作業として作成した基準であれば、それを否定することが難しくなり、勝手な論理展開や、結論に対する不平を減じることができるというものです。
およそ、この書籍では、前半にこのような交渉論の概念的な枠組みや方法論が紹介され、後半には具体的なケーススタディが続きます。興味を持たれた方は、是非、書籍を手に取ってみて頂けばと思います。
改めて交渉の4つのキーポイントを眺めると、実はデザインプロセスに非常に近い印象を受けます。本質的なニーズを探り、課題を創造的に解決し云々。このように考えると、意外とデザインと交渉は親和性が高いもののようにも思われるのでした…
最後に、私として示唆的だったものをメモ的に引用しておきます…
相手を検討過程に必ず参加させ、結果に責任をとらせよ
相手方には不利な結論を呑んでもらいたいという場合は、その結論を導きだす過程に相手方を参加させることが不可欠
顔を立てて相手の価値観と一致する案を出せ
顔を立てるということは、妥結案が両交渉者の主義主張や社会的イメージと相反しないように調整するということであって、
その重要性を過小評価してはならない。
公正な手続き
私意に振り回されない解決を生みだすためには、実質的な問題点に対する公正な基準か、または対立する利害を解消するための公正な手続きかのいずれを使えばよい。例えば、2人の子供が1つのケーキを分けるのに古くから使われている方法を考えてみよう。1人が切ってもう1人が選ぶ。どちらも不平を言うことができない。