この間からエントリーしていたExploratoriumのAPEプロジェクト (1回目、2回目、3回目、4回目)について考えていたら、学生だった頃に読んだマイロン・クルーガーの『人工現実』のことを思い出した。たぶん、インタラクションという言葉を知ったのはこの本が最初だったのではないかと思う。
当時、マイロン・クルーガーはVR流行でゴーグルやグローブがもてはやされていた時に、もっと自然なインタラクションを目指して装置をつけない作品を制作していた。
例えば、ビデオ入力を使ってユーザーは指先でスプライン曲線のコントロール点を指定できる「ビデオデスク」という作品を作ったりしている。ビデオで認識するのとマルチタッチの違いはあるけれど、iphoneの操作にも似たインタラクションだ。
マイロン・クルーガーは、『人工現実』 のなかでインタラクションの質についてこんな風に書いている。
視覚的な応答だけを独立した芸術作品として評価すべきではない。また、音も音楽として評価すべきではない。美的関心の的となるのは、ただ、インタラクションの質のみである。それは、人々の興味を引き、参加させ、感動させる能力、認識を改めたり、新しい美のカテゴリーを生み出す能力といった、より大きな基準により評価を受けるべきものだ。
Exploratoriumの展示は科学という文脈であったけれど、上の引用した部分は「APE」的だなぁと。