「クラウド化する世界」 ニコラス・G・カー (著), 村上 彩(翻訳)
もう随分前に購入していたものをようやく読み終えた。
印象としては、表紙の「ビジネスモデル構築の大転換」という副題よりも、もっと社会的な広い点から捉えられており、一時的に流行するビジネス書に見られるような煽る感じが無ったので、さらっと読む本として好印象。新しいテクノロジーから描かれる未来像としては悲観的な将来が描かれている。この悲観的な未来像にちょっとリアリティが感じられない部分もあった。
少し要約。
?第1章
白熱灯の発明から電力利用が普及するまでの過程では、初期、各企業は独自の発電設備を持ち、技術者を雇い、独自の電力システムを持っていることが競争力の源泉であった時代があった。その後、電力システムの標準化などから企業向けに電力を供給する企業が現れる。電力を利用する企業としては設備投資費用などのコスト削減のメリットがあり、供給側もスケールメリットを働かせた低価格の電力供給が可能となり普及して行った。大雑把にいうとそのような流れがあり、現在のIT投資も自前のシステムから、外部の専門業者の低価格なサービスを利用することにより産業全体が効率化されるという説明だった。非常に分かりやすく納得がいく。もちろん、電気と情報システムでの相違に関する説明もある。
第2章
ワールドワイド・コンピュータ(=インターネットによって相互接続されたコンピュータ全体が協調?し、1つのコンピュータのように機能する状態)がもたらす、個人、経済、文化にもたらす影響を広範なリサーチから概説している。
労働に関する問題では、「コンピュータ化は、仕事も能力もある労働者の供給を増やしつつ、その仕事への需要を縮小する」。
コンテンツのバラ売りが進み、新聞等の媒体では売れるものが記事になる。「我々は、(インターネット紙面の) ページがますます金次第となっているという事実から逃れられない」
インターネットによって、均質化が進むのではなく分裂が進む。(このなかで紹介されるトーマス・シェリングの実験はとても面白い。)「ときとして、ごくささいな動機やほんのわずかの差異が極端な分裂という結果につながる。」個人がもつささやかで自然な欲求=「近隣に少しは同じ人種の人がいて欲しい」が集積した時に、コミュニティは分裂していく…
この後、ネット上では匿名と思っていても素性が割れてしまうことや、実は関係機関により支配される可能性があること「ネットの設立原理は”支配”であって”自由”ではない。」、コンピューティングは人間の知性を超えるというような話が続く、このあたりにはあまりリアリティが感じられなかった。知性に関して、この一文は響いた。
「我々が賢いのは、我々の頭脳が常に、質問を知らなくても回答を与えてくれるからだ。我々の頭脳は計算するのではなく、辻褄を合わせているのである。」