方法論について

ここのところ、デザインの方法論についてディスカッションする機会が何度かあった。「デザインの」と書くと、大げさなのだが、ここ最近の自分なりの考えを一度まとめてみようと思う。

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たくさんの方法?

コンサルタントは、どれだけのフレームワークを持っているかが大事で、その数で勝負が決まるという話がある。一方で、経験豊富はコンサルタントは、基本となる数種類のフレームワークを使い回していて、実はフレームワークの量が重要なのではなく、その使い方、アレンジの仕方が重要なのだという議論もある。フレームワークとは、考える「型」のようなもので、確かに様々なフレームワークを持っていることは強そうではあるが、その実、人には考え方のクセのようなものがあって、それほど、コロコロとベースとなるものの見方や考える筋道を変えていくというのは、なかなか難しい側面もありそうだ。コンサルタントが使うフレームワークとデザインの方法論を、同様なものとして扱うのはやや乱暴かもしれないが、方法論を知識として多く知っているケースと、数種の方法を熟知し骨肉化しているケースでは、アウトプットのクオリティを向上させるのは後者のような気がしている。

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長い目で方法を捉える

では、これと決めた方法を数種を熟知していればいいのだろうか? これも、少し違う気がする。量とは異なる軸で、方法論が静的か動的かも重要な側面で、方法論をあまりに固定化させることで生じる問題もありそうだ。その問題の1つは、現場での創意が失われることではないだろうか。端的に言えば、作業を繰り返している印象が強くなり、中長期的には現場のモチベーションの低下に繋がる可能性もある。昔、あるプロジェクトで、「ナレッジは現場で生まれる」と仰った方がいたが、これは本当だろう。同じことを「繰り返しやらされている」のではなく、自分たちのナレッジをもとに「取り組み方、それ自体を自分たちで変られる」とした方が良いものが生まれてきそうな気がしないだろうか。このような態度は、兵法家のクラウセヴィッツが、「戦略が文字通り『モノ』であれば、時々刻々と変化する環境に対応」できなくなるとし、「モノ」としての戦略を否定した態度と通ずるものがある。重要なのは、出来上がった「方法論」ではなく、「方法」をアレンジし、編み出して行く力の方にあるようだ。

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方法論の背景

それから、デザインに関する「方法論」と一口にいっても、方法論それぞれの意味があり、それを用いる組織や個人の背景も異なる。大きな組織であれば、バラツキを無くしクオリティを安定させることが重要なケースもあれば、人材が不足しているプロダクションなどでは効率化を推進するものが大切になるだろうし、あるいは創造性の促進が重要なケースや、様々なステークホルダーとの合意形成が重要となる、などなど、ある組織や個人がある方法を生みだし用いている理由は様々なハズだ。「方法論」に関するディスカッションを行う時に、この前提というか目的がズレている事が良くある。(私自身も過去にそのような過ちを犯した。)

グローバルブランドのイメージ統一に関するプロジェクトに携わった際に、見つけた文献(もうずいぶん前の文献だが)には、日本企業はマニュアルなどのツール類を重視し、海外企業は現地担当者との話し合いやワークショップを重視するという調査結果があった。イメージ統一という課題に対し、アウトプットにルールを課し管理することを重視していくのか、あるいは、あるブランドが伝えたいことの共有や共感を重視していくのか、アプローチや方法論の違いから、その組織では何が重要視されているのかが、透けて見えることもある。他の組織の方法論について知るということは、この価値観の違いを認識するというところに最大の価値があるように思えてならない。

他の組織で行われている方法を、自分たちも真似してみることは基本的には良いことだと思うが、上に述べたような方法の意味や効用と、その組織の背景を良く理解することがその条件となりそうだ。

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