4月16日、17日と宮城県石巻市の旧河北町のボランティアに向かった。被災地に向かった理由は単純な善意というよりも、「デザインになにができるのか」、それを考えたいと思ったからだ。
上の映像は私を誘ってくれた佐々木拓史さん(@mountak)によるボランティア活動の記録映像だ。東京に戻って来てから、佐々木さんは今回の経験についてメールでこう書いて来た。
「一言では言い表せないですよね。
悲しみで溢れていて、被害の大きさにどうしていいかわからないのだけど
でも、ボランティアの人たちのすごくポジティブな気持ちもたくさん感じるし
悲しくもなり、頼もしくもあり。
むずかしいです。」
被災地での経験を語るのは難しい。それでも、被災地のために何かを行いたいと思ったら、やはり被災地に足を運び、被災した人の声やそこで支援活動する人の声に耳を傾ける必要がある。
震災から1月が経ちデザイナーやクリエイターの中には、被災地の支援のために動き始めている人がずいぶん現れた。一方で、これらの活動の中には、被災地まで届いていない(と思われる)活動も多い。
こうした活動を、ひとりよがりで無益だとしてしまうことは簡単なことだが、実際には、社会的な課題に対して主体的に動いた経験があるデザイナーはまだ少なく、いろいろな人が想いを先行させながら手探りで実施しているというのが実情ではないだろうか(自分はその1人だ)。私は今こうしたデザイナーやクリエイターの活動を良いものも、それほど良いと思えないものも含めてデータベース化してサイト上で公開する準備を進めている。様々な活動を蓄積し、情報を集約することで、今後デザイナーが社会的な課題に立ち向かうときのちょっとした「糧」となるようなものにできればと考えている…
岡村氏の支援を支持します。
デザインというのは、アート寄りで見れば具体的な目標設定が難しいけれど、デザインはアートではないので、デザイン本来の意味に立ち返れば、リアルとつながるスペースが必ずあると信じます。
機能・効能・作用など、フレームを整理してチャレンジできる部分を見つけたいですね。
まずは、できると信じないことには何も成し遂げられんです。
信じてやらなければ被災者に力を与えることなんてできんのです。
小城さん、
コメントありがとうございます!
データベース化したサイトができたら、是非見てみて下さい。そして、いろいろ改善案を頂けたら嬉しいです。近日中にお伝え出来る予定です。
よろしくお願いします!
バブルは崩壊していたにもかかわらず90年代前半には異様に元気だったにも関わらず、震災やオウムがあって、windows95(≒ネット)や携帯電話の普及に伴い、コミュニケーションのカタチが激変した95年以降、急激にシュリンクしてしまった日本のコンテンポラリーアートにたいして、「それはアートが救えなかったからだ」と話した僕に対し、ある作家は「アートにそこまではできない。そんな傲慢では居られない」と応えました。その発言には?田中康夫っぽく云えば?一種の矜持と諦観とが同居していたように思います。
その出来事から10年近く経ちましたが、今回僕は、直截的な被災者だけでなくて、支援する側からも等しく何を「学べるか」と云う視点で捉えています。本質的には平等で、たまたま被災の程度に軽重があっただけなのですから。かくいう僕も5月には現地に入ることになると思います。